くうねるところ

振り返ってみれば結構あちこち転々としているのをなんとなく綴ってみた。

ときとばしょ どんな?
札幌在住時
〜1971年
中央区南8条
最寄り駅:地下鉄南北線中島公園駅
記憶があるのはここから。木造2階建て棟続き住宅の一戸。
すすきのにも歩いていけるほどのところ。豊平川や中島公園もすぐそばにあり、都会にしてはかなりいい立地。
すすきのに程近い救世軍の保育園に通っていた。丙午なので同期が6人ほどしかおらず、その影響で次の期が異常に多かったのを記憶している。
1971〜1976年春
東区北7条
最寄り駅:国鉄札幌駅
木造2階建て4戸入りアパートの2階。
親の都合で急遽引っ越すことに。まだ保育園に行っていたので卒園までここからバスで保育園に通う。
小学校に入学するもわりと病弱で保健室の保険の先生とはなかよしに。
札幌駅が近くにあり、たまに線路まで行って、通過する鉄道をひたすら眺めていた。(これが例の発端です)
小学4年生6月ごろまでここで過ごす。
1976春〜1985年春
豊平区西岡
最寄駅:地下鉄南北線澄川駅
木造2階建ての一戸建て。一番長く住んだところ。
またもや親の都合で急に引っ越し。住所は○丁目という表記ではなく番地のみだったので、とてつもなく田舎に引っ越してきた感じがした。(途中から丁目表記に切り替わった)
小学校と中学校はバス通学だったが、どういうわけか車掌が乗務しているツーマンバス。これも田舎らしさを醸し出していた。
はじめて自分の部屋というものを与えられた。
高校卒業まで住んでいた。現在はもうない。
東京進出
1985年春〜1987年秋
川崎市宮前区宮崎
最寄り駅:東急田園都市線宮崎台駅
専門学校の学生寮。4.5畳。
専門学校は東京の渋谷なのだが、学生寮は川崎だった。北海道生まれとしては、神奈川県から東京都に通学することがものすごく不思議に感じていた。
学校帰りにはコンビニでほぼ毎日アルバイト。遊ぶ金というよりも楽器を買う資金を稼ぐため相当働いた。当時は看板の通り、朝7時から夜11時までの営業だったが、途中から24時間営業に変わったため、深夜の戦力としても活躍。
1987年秋〜1991年夏
足立区西保木間
最寄り駅:東武伊勢崎線竹ノ塚駅
木造3戸入りアパートの1階。K4.5畳+和4.5畳+和6畳の2DK。
寮を離れ、ここから怒涛の独り暮らしがスタートする。
専門学校を卒業するまでここから通い、在学中から学校の勧めでミュージシャンのローディを始めた。その影響でさらに楽器の数が拡大。しかしローディの月給は6万円と少なく、これでは生活できないので一般のアルバイトをすることに。
1991年夏〜1995年春
世田谷区駒沢
最寄り駅:東急田園都市線駒澤大学駅
鉄筋コンクリート5階建てワンルームマンションの1階。6畳。
アルバイトに都合のいい場所に転居したかったことに加え、これまでクーラーがないところに住んでいたが、東京の暑さがさすがに堪え、転居を決める。ただしクーラーは自分で購入しなければならなかった。また人気物件だったため、前居住者がまだ住んでいて、内部を見ることができないまま契約した。
前の家よりも半分以下の狭さになってしまったため、生活空間はほぼ寝る部分だけ。
1995年春〜1999年春
大田区田園調布
最寄り駅:東急東横線田園調布駅
軽量鉄骨2階建て6戸入り新築アパートの1階。LDK12畳+和6畳の1LDK。
契約更新の時期になったので引っ越そうと思っていたが、なんとなく田園調布に住んでみたいという衝動に駆られ、転居した。ただし、住所は田園調布でも高級住宅地からは遠く、駅からも徒歩15分はかかった。結果、駅までタクシーを利用することが多かった。
途中でアルバイトから正社員となり、通勤場所は埼玉県八潮市。毎日の通勤に片道2時間、往復4時間の通勤時間となってしまう。
1999年春〜2003年春
中野区中央
最寄り駅:地下鉄丸の内線新中野駅
木造2階建て6戸入りアパートの2階。DK6畳+和6畳の1DK。
契約更新の時期のため転居した。たまたま仕事で訪れた中野が気に入ったのでここに住むことに。
会社をやめ、フリーで仕事をするようになり、DKをオフィス代わりにしていた。
最近よくつるんでいるのみ仲間はここで知りあった人たちで、今でも飲みに出向くところはこの界隈。
2003年春〜2004年春
中野区中央
最寄り駅:地下鉄丸の内線新中野駅
木造2階建て4戸入りアパートの1階。DK6畳+和6畳+洋4畳の2DK。
仕事場が手狭になってしまい、ちょうど契約更新時だったため転居。中野が住みやすかったため、前のところからすぐのところに引っ越した。
4畳の洋室を仕事場にし、会社として登記をしたのもここ。しかし、生活空間の6畳和室が非常にカビが生えやすいところで、梅雨の時期にはかなりひどいということがわかり、常に空調の除湿機能を効かせておかなければならなかった。結局1年だけ住んで転居。
2004年春〜2010年春
練馬区上石神井
最寄り駅:西武新宿線上石神井駅
鉄筋コンクリート5階建て団地の5階。LDK15畳+和6畳+和4畳の2LDK。
知人が購入した住宅。仕事の都合で地方に転勤となり、再び東京に戻るまでの間、ここに住むことになった。ちょうど前の家のカビ問題で引っ越したいと願っていたときに振って沸いた話。
広いLDKを仕事場とし、4畳の和室は仕事の資料+楽器倉庫として使用。
環境はとてもいいし、西武池袋線石神井公園駅も利用できるのだが、いい飲み屋がなかなか見つからない。
2010年春〜2012年秋
中野区本町
最寄り駅:地下鉄丸の内線新中野駅
鉄筋コンクリート4階建ての4階。7畳ワンルーム。
上記知人が急遽地方転勤が解除に。そのためおよそ10日以内に引越しを済ませなければならなくなった。
連絡をもらった翌日に以前住んでいた中野界隈の不動産屋に行き、即日で契約。というのも場所や間取りをじっくり選んでる暇はないから。とりあえず住めて寝れて荷物が入ればOKという甘い甘い条件。せめてもの条件は駅まで至近であること。お金と時間に余裕ができたらすぐにでも引っ越したい。
2012年秋〜
中野区中央
最寄り駅:地下鉄丸の内線新中野駅
鉄筋コンクリート8階建ての6階。洋4畳とリビング8畳の1LK。
前のところからわずか50メートルほど、青梅街道を挟んだ反対側に引越し。すぐに引っ越すつもりだったのに2年半も住んでしまい契約更新したものの、やっぱり部屋の狭さに耐えかねて急遽引っ越すことに。
人生至上初のエレベータつき物件。そして6階もこれまでで最上階。
2005年春〜
杉並区荻窪
最寄り駅JR・地下鉄丸の内線荻窪駅
仕事場として契約。
軽量鉄骨3階建ての3階。約12畳。
仕事のバージョンアップを図るため、これまで職住ともにしていたものを仕事場だけ分離。駅から3分程度とアクセスもよく、打ち合わせもできるスペースもできたため仕事は効率がよくなったが、家賃など最低でも年間120万円ぐらいは経費がかかるためもっと働かなければ。